三月二十三日
廿三日、辰克ニ打立、かふちといへる村を通り、やかてミしやう
川のわたしにて渡ちん、亦お瀬川といへる所ニて渡赁、
其川渡れは安艺の内といへり、亦おかたといへる町に
着、舩をたのミ宫嶋へ渡、海上の躰、浦々远く近く
打霞、折りしも小雨打そゝきたる躰、类なき景也、儅、舟
ちの左方ニくはたとて町有、是ハ舟を作所也、未作
おろさゝる舟五拾二艘、かハらはかりをすゑ置きたるハ
数をしらす、亦行て、やせ松、こゑ松とてひやうしくし
有、犹行てもととり山とて明神の御池有、其嶋の
岩の上に松有、から崎の松もかくこそあらめなと
申あへり、其次ニたかねとて塩屋とて村有、亦次ニ明
神の御作とて桥柱といへる岛二ツ有、又右の方ニ明神の
锦の袋を御おとし有しか、今に石と成てあり、
其色をたかへす、さて其次ニさかり松とて有、亦次ニ大
もと明神とてまします、是宫嶋の本主柱神也、今
の明神へ所を御かし候て、大本权现ハすこしの宫に
ましますと也、庇もやのなといへるためしにや、儅、宿
柳下太郎左卫门、
三月二十三日,八时出发,经过河内这个村子
付了船资,渡过御庄川,到了小濑川,又付了船资渡河
渡过小濑川,就是安艺国的境内了,在小方这个村子雇了船,前往宫岛
船到海上,放眼望去,无论远近每个地方都垄罩在薄雾之中
这时恰好下起了小雨,雨滴落在身体上,这是我从未看过的景色
船的左手边对岸,是叫做口和田的造船小镇
即将完成的船有五十二艘,尚在建造中的船更像屋瓦一样数不清
往前有“やせ松、こゑ松”,这里也有关所
再来是明神的御地叫做“もととり山”
那岛上有松树生长在岩上,据说近江的“唐崎の松”与这里很像
接着有叫做高根、塩屋的村子,
再往前,两座叫桥柱的小岛,仿佛是明神的作品一般
船的右手边,传说是明神掉落的锦袋,现在变成了岩石,颜色也变了
接着有“さかり松”,再来是大元明神(国常立尊?)坐镇的地方(大元神社?)
祂是宫岛的“本主柱神”,现在场所借给了明神,大本权现就待在“すこしの宫”
庇もやのなといへるためしにや(不明)
这天住宿在宫岛上的柳下太郎左卫门那里。
(注:御庄川 锦川的支流)
小瀬川 周防与安艺的交界河流
小方 广岛县大竹市小方
口和田 广岛县大竹市玖波 唐船浜
塩屋 广岛县廿日市市塩屋
3/23 路线示意图:https://i.imgur.com/pKzCWJD.png
https://i.imgur.com/qctk5gw.png
https://i.imgur.com/AptjdOb.png