六月二日
二日、御くうあけ、其より下向、さて行て、はたといへる村かひと
满五郎といへるものゝ所へ一宿、
六月二日,献上供品后
从伊势出发,走到“八太”这个村子
在一位叫满五郎的那里借宿。
(注:八太 三重县津市一志町八太)
六月三日
三日、早朝打立、伊贺のうち入道かひといへる所、中河善十郎
といへる者の宿へ立寄、卒度やすらひ、亦出行ニふる山
一番寺とて有、一见候へハ、ちやたへよとありし间、其分にて、儅、
打立行ニ、はつたといへる村くうや次郎左卫门といへる者の宿かり枕、
六月三日,早晨出发
中途,在伊贺的“入道垣内”,中河善十郎的住家这里暂停
稍微休息之后再次出发
然后在“古山一番寺”(不明)参观,承蒙招待喝了茶
这天在“はつた”(治田)这个村子,一位叫“くうや次郎左卫门”那里借宿。
(注:入道垣内 三重县津市白山町垣内
治田 三重县伊贺市治田
六月四日
四日、松の瀬の渡赁、其より北野といへる村ニ徊らい出行
は、はちふせといへるたうけを越、奈良へ入、左方ニつゝ井の城
有、亦行て、心前の舍弟きたのはし新三郎といへるものゝ
所へ立寄候へハ、すいはん酒にて会尺有処ニ、つくし彦左卫门と
いへる者来り、萨广にて参见の故、宿かすへき由申间、まかり
候へは、种々の会尺、其より其あたり一见候、猿泽の池わ
きもこかねくたれかミはさもこそあらめ、鲋.鲤なとの
濡洗侍るに、めに留ける、さて兴福寺一见、
六月四日,在“松の瀬”(不明)这里付了船资渡河
接着是“北野”这个村子,再继续走,越过“钵伏峠”,进入奈良
左方有“筒井城”,再继续走
到了心前(绍巴弟子)的弟弟 きたのはし新三郎 那里
受他招待,吃饭与喝酒
这时来了一位叫 つくし彦左卫门 的人
说他也要到萨摩去,便借他住宿的地方,反过来也接受了他的招待
接着在附近一带参观,在“猿泽池”的池边
[こかねくたれかミはさもこそあらめ](这句不明)
鲫鱼、鲤鱼就在岸边,目光被牠们吸引了
最后参访“兴福寺”。
(注:北野 奈良县山辺郡山添村北野
钵伏峠 位于奈良县奈良市钵伏町与菩提山町的交界处
筒井城 位于奈良县大和郡山市筒井町的平城
城主 筒井顺庆
猿泽池 猿沢池,兴福寺旁的池塘
兴福寺 位于奈良县奈良市登大路町,法相宗大本山
创建于天智天皇八年(669)
6/2~4 路线示意图:https://i.imgur.com/gKQTgDa.png 伊势 → 奈良
https://i.imgur.com/CKAVHZY.png 6/4 细部