https://ameblo.jp/yukikaze99j/entry-10386696166.html
中国といえば黄色人种の代名词的存在です。しかし、汉字を発明した古代汉族と现在の
汉族は、遗伝的なつながりがほとんどないとみられています。汉王朝が崩壊后、北方の
异民族が流入して人口は3分の1~6分の1に减少したと推定されています。しかも、流入
した北方民族を含めて人口が3分の1~6分の1に减少したのですから、古代汉民族の减少
はそれ以上だった推定されます。その后、鲜卑族と呼ばれる北方民族が统一王朝を建设
し、隋、唐と长い间支配が続きます。现在の汉民族は唐时代に民族の基础が形成されて
おり、现在のイタリア人と古代ローマ民族以上に别物といわれています。现在の中国で
は、古代汉语といえば清王朝时代の満州人の影响下にあった汉语を指すようです。
古代汉族は、现在の中国と违った文化をもつ谜の多い民族です。そんな汉民族ですが
、最近の近代的な考古学的手法の発达により、遗骨やミイラのDNA分析の结果が断片的
に报告されるようになってきました。2000年、东京大学の植田信太郎、国立遗伝学研究
所の斎藤成也、中国科学院遗伝研究所の王沥らは、约2500年前の春秋时代、2000年前の
汉代の临シ(中国山东省、黄河下流にある春秋戦国时代の斉の都)遗迹から出土した人
骨、及び现代の临シ住民から得たミトコンドリアDNAの比较研究の结果を発表しました
。その结果は、约2500年前の春秋戦国时代の临シ住民の遗伝子は现代ヨーロッパ人の遗
伝子と、约2000年前の前汉末の临シ住民の遗伝子は现代の中央アジアの人々の遗伝子と
非常に近いという结果になり、现代の临シ住民の遗伝子は、现代东アジア人の遗伝子と
変わらなというものでした。
一方、3000年前~1500年前の中国西部は、白人が支配する地域であったことがほぼ定
说になりつつあるようです。新疆ウイグル自治区の楼兰の美女と呼ばれるミイラは、白
人のミイラとして知られています。中国西部では600体もの白人のミイラが见つかって
います。北京から400、500km南东に位置している山西省の大原市からも白人が埋葬され
た坟墓が见つかっています。このことから1500年前にはすでに白人がかなり移住してい
たと考えられます。
汉文は异民族との情报交换のために発达した文章といわれています。つまり、汉文は
文章のためのものであり、当时、话された言叶をアルファベットや万叶仮名のように示
したものではありません。つまり、当时话されていた言叶を记录した资料が极端に少な
く、検讨する余地はかなりあるようです。ひょっとすると、汉文は当时のシナ系言语と
全く异なる白人の言语をつなげる架け桥だったのかもしれません。
これらの白人はコーカソイドと呼ばれる人达で、いわゆるトルコ系民族と言われる人た
ちです。トルコ系民族は、少なくとも5世纪ごろにはシベリア地域にも移住していたと
みられています。そう考えてみると、中国にもトルコ系民族が移住していても何の不思
议もありません。东京大学の植田教授らは山东半岛周辺に白人の居住地があったことを
指摘しています。现时点では、白人が中国のどの程度の位置を占めていたのか不明です
が、今后DNAの研究が进むにつれ、これまでの歴史の常识が大きく覆されるかもしれま
せん。汉字は白人が発明したとまではいえませんが、山东半岛出身の孔子は白人だった
可能性があるといえそうです。
テュルク(トルコ系民族とその分布)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E7%B3%BB
参考文献・记事
斎藤成也、2002、遗伝子からみた东ユーラシア人、地学雑志, 111巻, 6号,832-839.
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p832-839L.pdf
White People in a 1,500 Years Old Chinese Tomb
http://news.softpedia.com/news/White-People-in-an-1-500-Years-Old-Chinese-Tomb-55656.shtml
“中国に纯粋血统の‘汉族’は存在しない”
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84664&servcode=400§code=400&p_no=&comment_gr=article_84664&pn=5
など、いろいろ。