[情报] 三岛由纪夫“决起” 心の故郷 思い様々

楼主: qilai (左是一种心智缺陷)   2010-11-25 10:19:20
三岛由纪夫“决起” 心の故郷 思い様々
2010年11月25日
  作家、三岛由纪夫の割腹自决事件から25日で40年。熊本の文学者によって文坛
への足がかりをつかんだ三岛は、旧肥后藩士らの反乱・神风连(しん・ぷう・れん)事
件に惹(ひ)かれ、自らの最期の想を得たとも言われる。“遗志を継ぐ”“テロの美化
にすぎない”。昭和史に谜を残す事件への评価は、ゆかりの地でもさまざまだ。(岩崎
生之助)
  25日夜、熊本市の加藤神社で追悼行事“忧国忌”が开かれる。三岛を慕う20~
30人が集まり、自决前に宪法改正や自卫队の国军化を诉えた三岛の“檄文(げき・ぶ
ん)”を朗読し、肉声の录音テープを流す。
  1970年11月25日、三岛は陆上自卫队东部方面総监部(东京)に乗り込み、
トップの総监を人质に取った。自卫官にクーデターを呼びかけたが闻き入れられず、そ
の场で腹を切った。71年3月に熊本市であった“百日忌”から追悼に携わる福岛宏さ
ん(74)は“日本の行く末を案じていた三岛さんの遗志を受け継いでいかなければな
らない”と话す。
  百日忌の実行委员长は熊本市の郷土史家、荒木精之。旧肥后藩士ら约170人が明
治政府の廃刀令などに反発し、政府军と戦って切腹した“神风连事件”の研究で知られ
る。事件4年前の66年8月、三岛は遗作となった长编小说“豊饶(ほう・じょう)の
海”の第2部“奔马”でこの事件を描くため、荒木の自宅を访问。古书店で史料を集め
、神风连ゆかりの神社や墓地も巡った。
  三岛の自决后、荒木は文芸志“日本谈义”に“このやうに打てば响くといつた人に
逢つたことはない”と追悼文を寄せた。三岛も荒木あての书简で“日本人としての小生
の故郷を発见した(中略)熊本の地は心の故郷になりました”“神风连は小生の精神史
に一つの変革を赍(もたら)したやうであります”としたためた。神风连の思想に共鸣
しつつ、自らの最期を暗示するかのような表现と言える。
  一方、荒木の三女、いおりさん(59)は“三岛氏の行为はテロ。存在を胁かされ
て决起した神风连とは违う”と冷ややかだ。“戦争中は多くの人が望まない死を迫られ
た。平和な时代に派手な最期を选んだことを过大评価はできない”
  三岛が作家として头角を现したのは16歳のとき。熊本出身の国文学者、莲田善明
や清水文雄らが主宰する同人志“文芸文化”に连载した“花ざかりの森”がきっかけだ

  赤ちゃんポスト“こうのとりのゆりかご”で知られる熊本市の慈恵病院院长、莲田
晶一さん(80)は莲田善明の长男。少年时代、5歳上の三岛が书いた原稿を见て惊い
た。“文字も美しく文章もまさに天才的。父を访ねてうちに来ていたが、会うことすら
ためらわれた”と振り返る。
  出征した莲田善明は终戦直后、上官を射杀し、自ら命を绝った。三岛は莲田に影响
を受けていたとの见方もあるが、晶一さんは“无関系でないかもしれないが、三岛さん
の事件は平和な时代に突然起きた。独自の考えがあったのだろう”とみる。
  近现代史に详しい井上智重・熊本近代文学馆长は言う。“三岛は莲田善明や荒木精
之らと出会い、まさに熊本の地に导かれるように运命を决定づけられていった”
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001011250004

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