◆◇ “ 绪方恵美の、银河で、ホエホエ。” ◇◆ 2009年2月20日発行
vol.89“ベサメムーチョ! 4/5”
(注:これは“ベサメムーチョ!”5号続きの4号目です。Vol.86からどうぞ)
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3daysライブの2日目、本编终了后一旦戻ろうと楽屋の方向を向いた途端、ブラック
アウトしてしまった私は、见えない视界の中、根性で袖までなんとかたどり着き、ス
テージを降りる阶段にさしかかったのを足で确认した后(ここまでこれたのは奇迹!)
、一段降りたところで力尽き、崩れ落ちてしまいました。
こんなことは初めて。
その私を、待机していた现地の看护师さんたち(男性)が抱え上げ、楽屋へ。酸素
ボンベ(スキューバ用)で酸素を吸入させられつつ、血圧と体内酸素测定。
普段、私はどちらかというと低血圧気味なのですが(时折下が40になる时アリ)、
その时に测った血圧は、上が180で下が125! びっくり……。
酸素浓度も、数値がよく闻こえなかったのですが、低めだったようす。
最初は朦胧としていたのですが、覚醒するもんですね。
凄まじいお客さん达のコールに、“行かなきゃ”と、、、
1分ほどで起き、ステージへ。无事アンコール终了。
楽屋へ帰还后はまたしばらくへたれておりました。
そうこうするうち、头顶部から全身真っ赤で汗みどろな宫泽正人氏が楽屋へ。 事情
を话すと“やっぱり”と呟き、“でも歌のピッチ(音程)は合っていたよ。闻こえて
なさそうではあったけど、ちゃんと合ってた。绝対音感のせいかな。よく顽张ったね”
と言ってくれて、安堵のあまり私は涙目に。 それからひたすら谢ってくれました。宫
泽氏のせいではないのに……。
どうやら、“これはメインステージのための卓なので绝対にいじるな”と言ってい
たにもかかわらず、途中のステージのPAが配线から何からめちゃめちゃにしてしまっ
たようでした。
私は専门的なことはわからないのですが、操作する卓ではなくて元の部分からいろ
いろやってしまわれていて、、、ひとつだけわかったのは、リバーブの元が“完全オ
フ”になってしまっていたらしく。等々。
普段、まず怒鸣ったところなんかみたことのない、ジョーク満载の宫泽氏(もちろ
ん彼流の“ポーズ”で优しさなんですが)がめちゃめちゃキレ、英语で怒鸣りまくり、
それをコーディネーターのぺぺが翻訳しながらスペイン语で轮に挂けて怒りまくり(
彼も本当に优しいいいヤツ!)、あまりの騒ぎに招致元であるTNTの社长が飞んできた
のだそうで。
“安心してくれ、あのスタッフ达は全员クビにした” とのこと。。。(^^;
その夜、TNTの方々による、私达の歓送会。
翌日の千秋楽は、次の日に“后日祭”があるために正式な歓送会ができないので、
という理由と、私达がそのまた翌日は3时にホテルを出て空港へ向かわなくてはならな
いので、遅くまで呑めないという理由とでこの日に。
シンガー、ダンサー、カルテット、そして食事と最高级のテキーラ……いろんなも
のに酔わせていただいた私达に、
“メキシコにはあなた达のアミーゴ(亲友)がいることを忘れないで欲しい”
と、その証の、大きなハットの授与。
それから、社长が、私の目を见て、こんなようなことを言ってくれました。
“あなたには本当にたくさんのことを教わった。あなたの発言や行动が、全て
お客さんを大切にするからだということを、ステージを见てハッキリわかり、
感动した。お客さん达は本当に喜んでいた。本当にとても盛り上がってた!
彼らと私达はきっと、ずっとあなたが好きだと思う。
私达があなたの言叶に动かされ、経験してきたこの数日间は、遅れていたメ
キシコのエンターテイメント业界にとって、大きな财产になりました。
绝対にまた来て欲しい。その时にはもっと成长した私达でお迎えします。
私はあなたの歌がとても好きになりました。アニソンも好きだが、特にオリ
ジナルソングにとても感动した!”
と……。お互いに、涙目に。
そして固い握手と、ハグと、优しいキスを顶きました。
“明日は威信にかけてもキッチリやります。やらせます” と宣言する社长に、
“Sii! Me, too!”(“もちろん、私も!”ごちゃまぜ言叶/爆) と颔いたのでし
た。
(vol.89に続く)