◆◇ “ 绪方恵美の、银河で、ホエホエ。” ◇◆ 2009年2月20日発行
vol.86“ベサメムーチョ! 1/5”
そんなワケで、1月27日〜2月3日の8日间、メキシコへ行ってきました!
正确には、メキシコの首都・メキシコシティで开催される、TNTというアニメ・マン
ガエキスポに、ゲストとして招待されたのです。
そこで3days、ライブを开催するということに!
同行者はキーボーディストの森藤晶司、そしてジェオの社长・宫泽正人氏。宫泽氏
は、以前からいろいろお世话になっていたのですが、去年の12月から正式にJTBと提携
して私の音楽方面でのマネージメント・コーディネイトをやってくれることになった
のです。2人ともずっと一绪に音楽をやってきた仲间なので、初めての地でのライブで
したが、安心していくことができました。
成田からサンフランシスコを経由し、トランジットを入れて约18时间。 ようーやく
、
かの地につきました。
アメリカやヨーロッパにいくと时差が激しくてボケがでるのですが、それ+ほぼ真
下に4时间(+乗り换えで2时间、计6时间)かかっているせいか、时间がぐるっと回り込
んで、机内で爆睡した私はあまり苦しく感じませんでした。
むしろ苦しいのは、息! メキシコシティは标高2000mの高地にあるので、空気が薄
いのです。+干期なので、空気がカラッカラ! ふっつーに街を歩いている时が、ロス
コ(二酸化炭素のスモーク)吹き出しまくりのパンパンのライブハウスのステージに
いるのと同じような感覚なのです。
こんなんでステージに立ったらダイジョブか?
いやそれより、お客さんは入るのか?
……という、一抹の不安を、感じながら……。
宿泊先はシェラトン。ホテルといえど安心できないこの国にあって、このホテルは
隣にアメリカ大使馆、その向こうに日本领事馆がある绝好の立地なので、比较的大丈
夫なのだとか。……ありがたい!
でもこんな一流ホテルであっても、英语すら通じないスタッフも结构いる様子(公用
语はスペイン语)。
“この国であなたのことを知らない人はいません”
と、コーディネーターのyossyは言うけれど、、、 本当にこの国で、日本语の私の
芝居が受け入れられているのだろうか?
疑问に思っていたら、ん? どこかから惯れ亲しんだメロディーが?
音の元をたどると、荷物を运んでくれはしてても、私が谁なのか“明らかにぜんぜ
んわかってない风情”のベルボーイの携帯の着メロが、何と“残酷な天使のテーゼ”!
……なるほど。
そしてその翌日あった记者会见では、さらにびっくり!
地上波テレビを含め、现地のメディアから、なんと総势70〜80人の取材阵が!
エヴァ等、大きな作品のイチ出演者として列席した时は除いて、こんなに记者会见で
集まっていただいたのは初めてでした。
とはいえ、この记者会见は、……いろいろ大変でありました。
危うく今までで一番辛く、悲しい记者会见になってしまうところだったのです。
“お国柄”という言叶が一番适切なのかもしれないのですが、、、日本では当たり
前のことであることが、ムコウでは当たり前じゃない、“仕事としては常识では”と
いうことが常识じゃない。そういう“差异”がたくさんあったのですね。
最初は“ん?”とちょっとひっかかるだけだった。その小さな“ひずみ”“ささく
れ”のようなものが、徐々に大きくなりはじめ、いろいろな场所で大きな壁となって
立ちはだかることになった。その最初が、この记者会见でした。
详细については割爱しますが、この时は、本当に……!
……あの瞬间を思い出すと、今でも体が震えます。
あまりの状况に、図太い私が控え室に戻った途端力が抜け、“このまま帰ってしま
いたい”と真剣に思ってしまったような。。。
プライベートでの旅行だったら、その差异も楽しめたのだろうなと思います。私は
そういう违いを知るのが好きだし、パンキッシュな方なので(笑)。
ただ仕事となったら别。それでもやっぱりこのままじゃ帰れないと思いました。
自分のためだけなら、逃げていたかもしれません。
见えない力が、背中を押してくれました。
会见场に戻り、质问形式じゃなく私から挨拶をさせて欲しいと頼みました。
言叶を选びながら喋ったつもりですが、梦中で、何を喋ったのかよく覚えていませ
ん。でも気づいたら、あれほど微妙だった空気が动いていた。
満场の记者の方々が席を立ち、私に、満面の笑颜と拍手をくれました。
メキシコのメディアの方々が、日本から来たこの风変わりな役者を受け入れ、歓迎
してくれた瞬间でした。
今までで一番辛いものになりかけていた会见は、今までで一番思い出深い会见にな
りました。
あの瞬间は、一生忘れられないと思います。……きっと。
……なーんて书くと、どんだけ凄いトコか、メキシコ!?
と、みなさんに思わせてしまったかもしれませんね(^^;;;すいません
でも、ホント、“お国柄”のせいなんだと思います。
现地コーディネーターを初め、招聘して下さった会社関系の方々はみんなとてもい
いひとたちだったし、最终的には、ライブはとても良い形で幕を引けたし、行ってす
んごくよかった! と思っているのです! 本当に!
ただ、その途中が、いろいろ大変だったということ。
まぁ何にせよ、成功までの过程はいろいろあるってことです。。。
ともかく、会见は无事终わり、その夜はホッとして、みんなで干杯をしました。
こんな波を越えたのだから、きっともう大丈夫。そう思っていたのです。
その时までは。
でも、本当に大変だったのは……その、翌日からでした。
(vol.87に続く)