6/12~14 路线示意图:https://i.imgur.com/z97uDkG.png
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六月十二日
十二日、夜を笼て打立、池田のしゆくを通、たゝのうちはつか
の郡なから、夕の空の月の瀬といへる村、北林彦左卫门と
いへるものゝ所に咏卧佗ぬ、
六月十二日,天未亮就出发
经过“池田宿”,接着是“多田”
这天在“羽束”这一带,叫“月の瀬”的村子里
一位北林彦左卫门那里借宿。
(注:池田宿 大阪府池田市
多田 兵库县川西市多田院
羽束 兵库县三田市羽束山一带
月の瀬 兵库县三田市下槻瀬一带
六月十三日
十三日朝立行に高平関とて二所ニ有、其折しも、この
前に山たち有とて所の者走行を、我が身の上かとおそ
ろしく、然共何事なく行々て、丹波の内大野原一见し、
其より名ハ驹くら越なれは、わらちさしはき、かちより
过行は、は城とも有、さてあけのといへる市场有、通ちやう
の田村豫三次郎といへるものゝ所へ一宿、
六月十三日,早晨出发
在“高平”这里有两处关所
这个时候,前方的山里有山贼的踪影
本来想着要是发生了什么事该怎么办
但结果是无事通过
进入丹波国,往山下一望“大野原”的景色(篠山盆地)
越过“驹くら”,穿草鞋继续前行,有“は城”
接着到达“明野”的市场
这天在一位叫田村豫三次郎的那里借宿。
(注:高平 位于兵库县三田市下里
驹くら 位于兵库县篠山市小枕
“三国ヶ岳”附近(丹波国与摄津国交界)
は城 端城[相对于主城的支城]
可能是指“吹城”(位于篠山市东吹,城主 井关氏[波多野氏家臣])
相对于主城“八上城”(位于篠山市八上上,波多野氏之主城)
明野 兵库县篠山市明野
六月十四日
十四日、辰克ニ打立、おひれといへる村にて、加治木众山本坊ニ
合候、軈而はこやに着、しためし、其よりかね山を越候て、
ひかミの郡の内猪の山とて城有、かいた.あしたの城有、さて
小仓の町茶やの彦三郎といへる者の所へ一宿、
六月十四日,早上八时出发
在进入“追入”这个村子的时候
遇到了来自大隅国“加治木”的僧人山本坊
接着在路旁的小屋休息一会
越过“金山”后,“氷上郡”的“猪の山”这里有城(不明)
再来“かいた”(不明)和“あした”(芦田)这里也都有城(芦田城)
这天在“小仓”一位经营茶屋的彦三郎那里借宿。
(注:追入 兵库县篠山市追入
加治木 鹿儿岛县姶良市加治木町
金山 丹波国多纪郡与氷上郡之交界
氷上郡 现今的兵库县丹波市
芦田城 又名“小室城”,位于兵库县丹波市青垣町的“吼子尾山”山顶
城主为丹波国人芦田氏,于天正七年(1579)被织田军所灭
小仓 兵库县丹波市青垣町小仓