楼主:
OGATA (HARUKA)
2006-12-14 10:51:32◆◇ “ 绪方恵美の、银河で、ホエホエ。” ◇◆ 2006年12月14日発行
vol.60 “ハジメテのロングバン・ツアー!”中编
( はじめに。
これは3号続きの“ハジメテのロングバン・ツアー!”の、中编です。
Vol.59の“前编”から続けてお読み顶ければ幸いです。 )
* * * * *
“せっかくですから地方ごとにセットリストを変えましょう”
と言ってくれたのは、バンドマスターのキーボーディスト・森藤晶司。
“ある程度のベース曲はおくけど、后はノリでその日に决めて、ね”
オウヨ、とハナイキ荒い私でしたが、そこからが大変だった!
ざっと见积もっただけで、候补曲、なんと44曲!
うはーこれ全部、2日半でリハーサルするの?(汗)
持ち歌の中でもハードなのや艶っぽいのや明っかるいの、テンション高めのナンバ
ーをガツッと揃えて! アニソンなんかも卑怯&周到に用意して!(笑)
バラードも毎回2曲は入れて、キャラソンも必要だし、と言ってたらその量に…年
月の积み重ねは重カッタ。
でも我がメンバーは全员、见事にやってのけました!
(苦もなく…と言いたいトコだけど、そこは嘘つけない/笑)。
カッチリ2日半で仕上げ、最后の夜はカッチリ自腹で打ち入りまで!(笑)
ありがとう、みんな。
出発当日の朝は、コヤの调整や手配をやってくれたソリッドボックスの桑垣さんと
宫岛さんが、わざわざお见送りに来てくれました。
早朝の新宿西口・ビル街の一角、ロケバスがよく集まる所まで。
このお2人は、前日までいろいろ手伝ってくれたジェオの宫泽氏と共に、手弁当で
顽张ってくれた制作さんでした。大感谢。
でも、ここから先は、私达だけで行かなくてはなりません。
感伤に浸りつつふと隣のロケバスを见ると、何やら绮丽なオネエチャンが!
何のロケだろう? と见ている私の耳元へ、某メンバーがこそっと“AV女优です。
间违いない!”と嗫く。
何で知ってんだよ、とツッコミかける私の目の前を通り过ぎる、、、
ピッと上がったオシリ! 细い足!
温かそうな上着から见え隠れする、白いムネ!
素晴らしい门出に、なりました…!(T^T) ←(笑)
そんなワケで一路、広岛へ。
记念すべきドライバー・トップバッターは私。里道を知り尽くしている(!)都内
中心部の道から、东名・富士川SAまでが担当です。
特注シートの新车同様のバンなので、运転自体は快适。その上メンバー全员バンの
运転に惯れているという恵まれた环境(笑)だったので、ひとりあたり200キロ弱の
运転ですみ、思ったよりは楽に広岛に着くことができました。
広岛出身or在住の関系者始め、过去広岛でライブ等で行った経験のあるいろんなひ
との话によると、今回のツアー初日・広岛は、どんな有名なアーティストでもなかな
かノらない、难攻不落な土地柄だとか。
ライブは勿论、マモノにオカネを落とすこと自体にシブイ人が多いそうで、热いと
思っていた広岛カープのファンでさえ、球场が市内中央にあるにも関わらずなかなか
足を运ばず、球场动员はブービー球団を大きく引き离し、12球団・ダントツ最下位と
いう逸话まで、、、
…マジデスカ。
でも、ワタシには、メンバーがいるもの!
きっときっと、ダイジョウブ。
…と、コヤでストレッチをしつつ、无意味に唱えてみたり(笑)。
ただ心配事はお客さんだけじゃなくて…例えば今までのホールツアーには音响さん
や照明さんがついてきてくれたんですが、ライブハウスツアーは基本的に、现地スタ
ッフにゆだねるモノ。
中にはイジワルなヒトもいるらしいし、でなくてもいきなり当日ナマ音を合わせる
ことになるのでトラブルも多く…ホール惯れしているオガタには大変かも、顽张るん
だよ、といろんな方が忠告や応援してくれた声がリフレインして、うーむと唸ってい
た、その时。
“あの”
声をかけてくる照明さん。…キタ!
“ハイ”
紧张含みの笑颜で振り向いた私を、まっすぐ见つめて、彼が一言。
“ラジオ大好きでした! 顽张るのでよろしくお愿いします、“司令”!”
“司令”というのは私の当时の爱称で、そう呼ぶのは“部下”(リスナー)の証拠。
今でもそう呼ばれるとホッと和む、爱情あふれる呼称(だよね?笑>リスナー)なの
です。
一気に、力が抜けました…(笑)。
彼のように“ラジオが”“作品が”“役が”好きだと言ってきてくれたり、何も言
わないけど明らかにめちゃ闻き込んでなきゃ无理なほど细かいフィルまで合わせてく
れるようなスタッフが、ほとんどの会场に、なぜか必ずいてくれて。
もちろんそんな明确なファンオーラを缠ってくれている人だけじゃなく、そうでな
い方々まで、各会场のライブハウススタッフが温かく接してくれ、本当に顽张ってく
れました。
たぶん、何らかの形で、私のことを知ってくれている。
そう感じられる人达が支えてくれたことは、大きな勇気になりました。
ごく限定された视聴者层でなく、たくさんの人に见て、闻いて贳えた作品に、ラジ
オに、…そんな仕事に数多く関われてきたこと。そういう恵まれた环境にいられた声
优が、アーティストが、どのくらいいるのでしょう。
そこからうまれた“人の轮”が、こうして今、私を立たせてくれている。
改めて、携わってきたすべての作品の関系者に、そして、それを楽しみ、応援して
くれた视聴者の方々に、深く、深く感谢しました。
(続く)