本来近期打算要入手展览图录,想说再搜寻一下资料。
没想到竟然找到有人在网上公开全文。
http://www.kanabun.or.jp/exhibition/4909/
http://www.kanabun.or.jp/webshop/5626/
http://mat-ottomo.jugem.jp/?eid=476&PHPSESSID=99k3ti2612g0bn4doipvg33td3
“サクブンを书くのだって” 安冈章太郎さんのこと
村上春树
仆は実际に安冈さんにお目にかかったことは一度しかない。仆が‘群像’の新人赏をと
ったすぐあとのことだったと记忆している。でもそのときは安冈さんの书かれたものを
ほとんど何も読んでいなかったので、とくにたいした话もできなかった。仆は十代の顷
は日本の小说をあまり手にとらなかったので、安冈さんばかりではなく、ほかの日本人
先辈作家たちのものもおおかた読んではいなかった。その顷はとにかく外国の小说ばか
り読んでいた。日本の小说を积极的に手に取るようになったのは、小说家になってしば
らくしてからのことだった。
四十代を迎えてから、安冈さんの小说をやっとまとめて読んで、“そうか、安冈章太郎
という人はこんなに素晴らしい作家だったんだ”と深く感心してしまった。でもだから
といって“あのとき、お目にかかったときに少しでも著作を読んでいればよかったな”
という风には思わなかった。というのは、安冈さんの书いた小说を読んで深く感心して
、それから安冈さんの実物(というか)に会って、それで面と向かって何を话すかとい
うと、话すべきことがほとんど何も思いつけないからだ。ずっと年上の作家に向って“
しかし、安冈さんって文章がほんとうにうまいんですね”みたいなことをいうわけにも
いかない。そんなことを言われたら、向こうだって困るだろう。だから结局は会っても
小说の话なんかほとんどしないだろうし、じゃあまったく何も読まずに会ったときとた
いして変わりもないはずだ。
かくかように、小说家と小说家が出会うというのはなかなかむずかしいものなのだ。自
分があまり评価しない作家と会って话すのももちろんむずかしいけれど、自分が高く评
価する作家と会って话をするのもそれに劣らずむずかしい(だからつい、ほかの作家と
颜を合わせる机会はあまり作らないという、逃げ腰な方向に行ってしまうわけだが)。
でも记忆を渔ってみると(会ったのはもうかれこれ三十六年くらい前のことになるが)
、仆は自分の书いた小说について安冈さんに、“耻ずかしいです。まだサクブンみたい
なものですから”と言ったことを覚えている。それはべつに谦逊じゃなくて、本当に心
から思っていることだった。こんな程度のものを小说と呼ぶのはまだまだ耻ずかしいと
。それに対して安冈さんは“君はそう言うけど、サクブンを书くのだってむずかしいん
だよ”と言われたような気がする。そう言われてみれば、たしかにそうだ。サクブンを
书くのだって、いちいち考え出すとなかなかむずかしいかもしれない。
安冈さんが作家としてデビューした年齢は、仆がデビューした年齢(三十歳だった)と
あまり変わりないわけだが、そのころに书かれた初期作品を読んでみると、“ほんとに
上手だなあ”と舌を巻かないわけにはいかない。文章にキレがあり、実に生き生きして
いる。この人と仆とでは、同じ新人作家でも才能のレベルがもう全然违うと思う。书か
れたものを比べると、无力感にさえ袭われる。
でも“サクブンだってむずかしいんだよ”という安冈さんの言叶をときどき思い出しな
がら、それから三十六年间、こつこつとめげずに作家活动を続けてきた。おかげで书く
ものもだんだん小说らしくなってきたように思う(もちろん自分でそう思っているだけ
だけど)。
前にも述べたように、小说家と小说家が出会うというのはなかなかむずかしいものだ。
でも会えば会ったで(あるいはすれ违うだけでも)何かひとつくらいは良いこともある
のかもしれない。得ること、役に立つこともあるのかもしれない。安冈章太郎さんのこ
とを思い返すと、そういう気がしないでもない。
(小说家)