神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する贸易家。天正10年(1587)の大阪城茶会
で秀吉から“筑紫ノ坊主”と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。同年、秀吉
と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を视察し、町割りに着手した。その际、当地に
间口13间半、奥行30间の宅地を与えられた。现在、屋敷迹には秀吉を祀る豊国神社が
明治19年(1887)に创建され、町割りに使った6尺6寸の间杖がご神体だったが、戦灾
で焼失している。(下连结一)
神屋宗湛,战国时代的博多三豪商之一。神户家代代都是博多当地商人,透过与中国
朝鲜的贸易累积了可观的财富与船队。 宗湛本身也精通茶道,有筑紫的茶人之称。
天正10年,与秀吉千利休等一同茶会过。 同年,秀吉从箱崎搭乘南蛮船视察因多次战
乱荒废的博多,并立定建设计画。 与此时,秀吉将间口13间半、奥行30间的住宅地赐
给宗湛(约24.54公尺x54.54公尺的住宅土地)。天正15年,秀吉免除此地的町役。 而宗
湛为了报恩,在宅邸内供俸秀吉的牌位。明治19年,为了纪念博多复兴三百年,整建了
丰国神社。