图文:http://www.wretch.cc/blog/kafka/9335205
写完的时候,还真有一点感动
五能线
普通列车缓缓的从东能代出发,这儿是五能线的起点。
从车窗外可以看见深蓝色的海水,带着白色的波涛
打在层次分明的沿岸上,有一种说不出开阔的感受。
用看的就能感受到冰凉,这是从北国流下来的海阿!
仔细看着水面,会有什么讯息呢?
是装有信纸的玻璃瓶?还是跳跃的鱼群?
每天都在海边工作,却很少看见如此洁净的海洋
及单纯而美好的海岸。那就留在火车上享受片刻!
津轻也是美丽的夕之滨,夕晖烧灼了整片海洋、云彩及天空。
在JR车站里,五能线的图案就是日落海岸。
除了泡在温泉之外(不老不死温泉),在火车上看着通红的落日,
随着速度的前进,好似再追逐坠落的火球。
五能线上有三种特级列车,我搭乘的 木芜 绿色的车厢,及修改后的观光车厢,
可以面对金黄或是湛蓝的海洋及偌大的余晖而行。
车掌甚至停夏车子好让特急列车上的旅客得以抓住掉落的瞬间。
随之余光逝去,黑夜袭上,伴随我回秋天的路上,只剩仅有的细眉弯月。
即便没有到任何地方,这段车窗之旅亦是值得。
五=五所川原
能=东能代
全长147.2 km
五能线在日本本州的西北端,连接奥羽本线两端,
可怜的这一段区域是被遗忘的,奥羽本线从东能代
绕到大馆、弘前到青森。
而五能线全线非电气化,一天只有少数几个班次,
若是错过了,会浪费很多时间在等待。
青森的西边,津轻国定公园,站站是荒凉的小站,
假如下车之后,大概也没有什么商店可以买东西。
天气不好的时候,可能会停驶。
因此这一条路线,是适合发展观光列车的。
就好像九州的肥萨线一样。
这个网页屌
全线全站拜访
http://rokusayo.milkcafe.to/haikai/pages_go/gono_main.html
这个人的blog好屌喔
http://chao01.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/48_36a5.html
五能线(ごのうせん)は、秋田県能代市の东能代駅と青森県南津
軽郡田舎馆村の川部駅を结ぶ、东日本旅客鉄道(JR东日本)の鉄
道路线(地方交通线)である
路线データ [编集]
管辖(事业种别):东日本旅客鉄道(第一种鉄道事业者)
区间・路线距离(営业キロ):147.2km
轨间:1067mm
复线区间:なし(全线単线)
电化区间:なし(全线非电化)
闭塞方式:特殊自动闭塞式(电子符号照査式)
运転指令所:秋田総合指令室
车両 [编集]
现在は、キハ40・48形(秋田车両センター所属)の2形式で运行され
ているが、かつてはキハ58系も主に快速“深浦”(かつての急行
“深浦”)を中心に运用されていた。また、1980年代まではキハ22
形が、それ以前ではキハ11形100番台が运用されていた。客车列车が
运転されていた当时は混合列车の运用が存在したことから、五能线
管理所所属の60系客车には冬期の暖房対策として床下にウェバスト式暖房装置が取り付
けられていた。最后まで残ったオハユニ61 107が碓氷峠鉄道文化むらに保存されている
歴史 [编集]
五能线の歴史は、1908年に开业した能代(现在の东能代) -
能代町(现在の能代)间に始まる。反対运动により[1]能代の市街
地を外れる形となってしまった奥羽线に接続するための支线であり
、后に能代线(のしろせん)と命名された。
一方、青森県侧においても、1918年、私鉄の陆奥鉄道(むつてつど
う)が奥羽本线に连络する鉄道を川部 - 五所川原间に开业した。
日本海沿岸を巡って能代と五所川原を结ぶ鉄道は、旧鉄道敷设法に
よる予定线にあげられ、能代方は能代线の延长として、五所川原方
は陆奥鉄道の延长の形で五所川原线(ごしょがわらせん)として建
设が进められ、1924年から顺次延长されていった。昭和大恐慌の影
响で、建设が一时スローダウンしたものの、1936年の陆奥岩崎駅 -
深浦駅间を最后に全通し、五能线と改称された。1927年には、陆奥
鉄道が买収・国有化されており、机织駅(现在の东能代駅) - 深浦
駅 - 川部駅间が国有鉄道によって运営されることとなった。
五能线的车站
能代駅、向能代駅、北能代駅、鸟形駅、沢目駅、八峰町、东八森駅 、八森駅、滝ノ间
駅、あきた白神駅、岩馆駅、大间越駅、深浦町、
白神岳登山口駅、松神駅、十二湖駅、陆奥岩崎駅、陆奥沢辺駅、
ウェスパ椿山駅、舻作駅、横矶駅、深浦駅、広戸駅、追良瀬駅、
骉木駅、风合瀬駅、大戸瀬駅、千畳敷駅、北金ヶ沢駅、陆奥柳田駅
、陆奥赤石駅、鲹ヶ沢駅、鸣沢駅、越水駅、陆奥森田駅 、中田駅
、木造駅、五所川原駅、陆奥鹤田駅、鹤泊駅、板柳駅、林崎駅
、藤崎駅、川部駅