https://www.yomiuri.co.jp/national/20220913-OYT1T50104/
信长の子孙の男性、比叡山には“行ってはいけない人间と思ってきた”“来られること
が幸せ”
2022/09/13 16:10
大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺で12日、织田信长による焼き打ち(1571年
)の犠牲者を悼む法要が営まれた。信长の子孙という会社员织田茂和さん(44)(东
京都)も参列。敌と味方を区别しない仏教の“ 怨亲おんしん 平等”の思想に基づき、
信长らも并せて供养した。
信长的男性子孙对于比叡山的想法“曾经一直认为没资格去”
“现在觉得能来这里是幸福的”
2022/09/13 16:10
位于大津市的天台宗总本山・比叡山延暦寺、12日为当年织田信长火攻(1571年)
的牺牲者举行追悼的法会。身为信长子孙的会社职员织田茂和先生(44)(东京都)
也是参列来宾。 基于佛教“怨亲平等”的思想、信长等亦为一起被供养的对象。
https://i.imgur.com/CzQbli8.png
镇魂冢の前で犠牲者らを供养する僧侣ら(大津市で)
于镇魂冢之前供养牺牲者的僧侣们(大津市)
焼き打ちでは比叡山や同市坂本一帯が焼かれ、多くの僧侣や庶民らが犠牲になった─
─と伝わる。延暦寺は1992年、遗品を埋めた镇魂冢(高さ约5メートル)を筑き、
焼き打ちがあった9月12日に法要を実施。本能寺の変(1582年)で同じく火に包
まれて死去した信长らも慰霊している。
法要では僧侣6人が冢の前で読経。参列した约20人も焼香し、全ての犠牲者を悼み
、争いのない世が続くことを祈った。
相传在当年的火攻事件中、比叡山和当地大津市的坂本一带都付之一炬、造成多数的
僧侣和庶民的牺牲。延暦寺于1992年修筑了埋葬当时遗品的镇魂冢(高约5公尺)
并且在火攻事件的发生日期9月12日举办法会。在本能寺之变(1582年)同样
殉于回禄之灾的信长等人也一起被列为奠祭对象。
法会由六位僧侣在镇魂冢前诵经。约20名参列者也一同烧香悼念所有的牺牲者、
并祈祷世间能够永息争端。
织田さんは焼き打ちから450年の节目となった昨年、招待されて比叡山を初めて访
れ、法要やシンポジウムに临んだ。今年は自ら望んで参列したといい、“比叡山や坂本
へは行ってはいけない人间だと长らく思ってきたが、延暦寺が信长を供养してくれてい
ることを知り、心からありがたく思った。来られること自体が幸せ。 末裔まつえい の
一人として今后も参列し、祈りをささげていきたい”と语った。
织田先生在去年火攻事件发生第450周年的重大年份、初次受到招待拜访比叡山、
参加了法会和研讨会。而今年则是出于自己的愿望来参列的、
“长久已来我一直觉得我的身分是没资格来比叡山和坂本的、但是在得知延暦寺
同样供养了信长之后、打从心里觉得感激。能够来这里本身就是一种幸福。
今后也打算继续以织田家后代的一员身分来参列法会、并献上祈祷”
*【怨亲平等】:佛教徒秉持大慈悲心,怨敌与亲友一视同仁。
*【坂本】:滋贺県大津市北部地名。为比叡山的登山口、延暦寺的门前町、作为琵琶
湖的港町而发展。