本文同步发布于个人巴哈小屋:
https://home.gamer.com.tw/creationDetail.php?sn=6074538
https://www.youtube.com/watch?v=NfxKuAHDC3s
へび
作词:n-buna
作曲:n-buna
编曲:n-buna
歌:suis
翻译:CH
意译:CH
https://i.imgur.com/DkIKHf2.jpeg
へび
蛇
【歌词翻译】
◢1
行方知らずのあの云を见た
わたしの鳞はあなたに似ていた
舌、まぶたは眠らず
ぼやけたよもぎの香りがする
▏未闻去向的那片云朵映入我眼帘
▏我映照此天的鳞片与你相似
▏舌尖分叉、未曾阖上眼睑入眠
▏隐约嗅见艾草芳香
行方知らずのあの云の下
わたしの心は火の粉に似ていた
靴はいらず、耳は知らず
冬(あなた)の寝息を闻く
▏在未闻去向的那片云朵之下
▏我的内心仿佛飞散星火
▏无须著上靴履、无须双耳听闻
▏只欲静静倾听你于冬眠的鼻息
ブルーベルのベッドを滑った 春みたいだ
シジュウカラはあんな风に歌うのか
海を知らず、花を爱でず、空を仰ぐわたしは
また巫山の云を见たいだけ
▏我滑行于风铃草的叶床,恰似春日再临
▏原来山雀的吟唱是如此悦耳
▏我未闻沧海广阔、不见繁花锦簇,仅是仰望苍天
▏仅欲再度一窥巫山的壮阔云海
◢2
知らずのあの云の下
あなたの鳞は日差しに似ていた
雨を知らず、触れて热く
ぼやけたよもぎの香りがする
▏在未闻去向的那片云朵之下
▏你的鳞片恰似筛落的日光
▏不知雨水冰冷、倘触及便感灼热
▏隐约嗅见艾草芳香
芽吹く苔のベッドを転がった あの顷みたいに
カタバミはこんな风に柔いのか
春を知らず、花を爱でず、风を舐めるわたしは
ただ海の深さを见たいだけ
▏我仿佛在那时春日探芽的苔藓石床上尽情滚动
▏原来酢浆草的触感是如此柔软舒适
▏我未闻春日和煦、不见繁花锦簇,仅轻舐春风
▏仅欲知悉沧海之深邃
あの大きな海を経れば
あの云の白さを见れば
あなたとの梦の后では
他には
▏若能行渡那片漫漫汪洋
▏若能瞥见那片云朵洁白
▏便能与你共奔此梦结局
▏不顾其他
ブルーベルのベッドを滑った 春になれば
ホオジロはあんな风に笑うのか
海を知らず、花を爱でず、空を仰ぐわたしは
ただあなたを见たいだけ
▏我滑行于风铃草的叶床,若春日再临
▏还能见山麻雀如此欢喜地绽放笑颜吗
▏我未闻沧海广阔、不见繁花锦簇,仅是仰望苍天
▏仅欲再见你一面
行方知らずのあの云の下
わたしの心はあなたに似ていた
舌は二つ、まぶたは眠らず
いつか见たへびに似る
▏在未闻去向的那片云朵之下
▏我的内心与你相似
▏舌尖分叉、未曾阖上眼睑入眠
▏宛若曾共见而欲窥探真理的蛇般
◢END
==========
有一天,我看见了蛇美丽的鳞片,变以此为题创作歌曲时,突然间感觉到它与《地。》之
间有某种亲切感。
在圣经中,吃下知识果实的人类和唆使他们的蛇的形象非常出名,而这可以简单地解释为
对知识渴望的比喻。
因此,我写下了这首歌,描述蛇于春天自沉睡中苏醒,走向外头,开始理解这个世界。
此外,这首歌的意向取自唐代诗人元稹的《离思》中一节:
曾经沧海难为水
除却巫山不是云
意译过来就是:“一旦理解大海后,再也无法对普通的水感到满足;除了巫山的云,其他
的都不算云。”大海与巫山的云,都是元稹用来比喻已故妻子的手法。
这便是一首简单而深刻爱情的诗。
n-buna
===========
【声明】
翻译纯属推广用途,本人不握有任何智慧财产权,亦无任何营利,相关著作权归智慧财产
权所有者所有。翻译使用、参考请注记来源,切记,此翻译仅代表CH所理解、感受到的
故事,其中不乏脱离原词的意境翻,请勿做为学习语言的参考。