如果要看看自己的样子,第一个想到的是站在镜子前面。
不过,除此之外也有各式各样能够让自己看见自己的方法。
好比,把现在所想的事情以文字的形式写下,
或是向他人寻求建议等等。
或者是,当“现在该吃什么好呢”的念头冒出来的时候,
就是能有效掌握与自己有关的素材的机会。
举例来说,没有选择最喜欢吃的肉类料理,
而是想来点清淡温润的面线……
这也许会是胃肠较脆弱的征兆。
现在的你渴望能更加认识形形色色的你自己。
若是透过以往那种无法一眼望穿的镜子,无论怎么去窥探,
也不会有你想发现的与你有关的新情报吧。
这绝对不是自大、自我意识过剩,或是渴望认同等简单几句话就能归咎的。
因为当我们能够真正地认识自己的同时,也能更加地了解其他人。
透过了解别人能够了解自己、透过了解自己而能了解他人。
将这个道理缩小来看连结的是人际关系,巨观上就是世界观。
当我们透过自己这面透镜却没办法看见这个世界时,
“了解自己”这件事应该就能做到“改变自己的透镜”。
*
我们所看见的每件事情、每个情绪都是自我的投射,
当你觉得事情没有转机、怎么样也无法改变眼前的人时,
不妨换个角度看看自己吧!你有多久没把注意力放在自己身上,
关心自己的感受、了解自己为什么会有这些想法、
你眼中的你自己与他人眼中的你有什么不同呢?
也许回归到自身后,就能看见不一样的世界喔!
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原文
http://weekly.hatenablog.com/entry/2018/07/27/193000_9
自分の姿を见ようと思えば
まずは、镜が役に立ちます。
でも、その他にもさまざまに
“自分”を自分で见る方法はあります。
たとえば、今思っていることを文字に书き出してみるとか、
人にアドバイスを求める、などの方法、
あるいは、“今何が食べたいか”を思い浮かべることも
“自分”を知る材料として有効な场合があります。
たとえば、大好きなはずの肉料理ではなく
さらっとそうめんですませたいな…と思えるなら
それは、胃肠が弱っていることのサインだろうと思います。
今、あなたはあなた自身のことを
色々知りたくなっているようです。
いつもなら覗き込まないような种类の镜を
様々に覗き込んで、
自分に関する新しい情报を発见したくなっているのではないでしょうか。
これはけっして、
うぬぼれとか、自意识过剰とか、承认欲求だ、
などと安易に片付けられません。
なぜなら、私たちは本当の意味で自分自身を知るとき
他者をも知ることになるものだからです。
他者を知ることで自分を知り、
自分を知ることで他者を知ります。
このことは狭くは人间関系、広くは世界観に直结しています。
私たちは自分というレンズを通してしか
世界を见ることができませんが、
自分を知るということは
“自分というレンズが変わる”ということなのだろうと思います。