分享一篇去年N1检定的读解文章
虽然许多人担心摄影展示的场所减少会影响摄影的未来,但我并不这样认为。照片没
有声音也没有动作,它们以千分之一秒的高速捕捉瞬间,与电视相比,可能在临场感上有
所欠缺,作为“传达信息的媒体”,它或许显得原始。然而,与电视那种提供现成答案、
强加于人“就是这样”的方式不同,照片没有呈现出一切,正因如此,需要观者用想像力
去补充。
想像照片那一瞬间所蕴含的意义,思考那一瞬间的前后,甚至想到未被拍摄下来的东
西。此外,还要考虑自己如何融入照片中的情景,感受到什么。通过自由地发挥想像力,
我们能不被周围环境所左右,从而以自己的方式感受“现在的时代”。
然而,要唤起想像力,照片必须具备作为“画作”的力量。首先需要具备“画面”的
构图力和震撼力,才能吸引人,随后再谈人们从中感受到什么。
刚开始摄影时,我努力去看许多被称为“名作”的照片。罗伯特极d帕的《倒下的士
兵》、卡蒂埃极泵C松的《跳过水坑的人》、尤金极v密斯的《施韦泽博士》……面对这些
照片,我思考着“为什么它们是名作”。当时没有立即找到答案,但现在我认为“名作是
让观者各自能感受到不同东西的照片”。在悲伤的时候、在高兴的时候,因心境的不同,
从一张照片中感受到的东西也会不同。有些年轻时令我感动的照片,现在看来感受平平;
反之,年轻时毫无感觉的照片,现在却能深深打动我。能让不同的人按照自己的心境面对
,并从中汲取各种信息的照片,才是广受支持并能穿越时代留存下来的名作。
有人感叹照片的力量正在消退,但现在是手机相机普及的时代,随时随地都可以拍照。从
这个意义上说,这是一个全民摄影师的时代。正因为人人都能拍照,若能以独特的视角,
从他人忽略的角度拍出精彩的照片,就能获得广泛的认可;而这样的环境已经建立起来了
,不是吗?
原文:
写真の発表の场が减ったことで、その未来を悬念する声が多いが、私は、そうは思
わな い。音も动きもなく、数千分の一秒という高速で动きを止める写真は、テレビと
比べると 临场感では劣り、“伝えるためのメディア”としては原始的なのかもしれな
い。しかし、テ レビのように用意された答えを差し出し、“こうです”と押しつける
のとは违って、写真に は、すべてが提示されていないからこそ、それを补うための想
像力が必要となる。(中略)
写真の一瞬に込められた意味を想像すること。その瞬间の前と后、あるいは、写っ
てい ないものにまで思いをめぐらせること。さらに写っているものに、どう自分を乗
ね合わせ、 何を感じ取るかということ。想像力を伸びやかに働かせることで、私たち
は周りに流され ずに、“いまの时代”を自分なりに感じ取ることができるはずだ。
しかし、想像力を呼び起こすためには、写真に“絵”としての力があることが必要
条件 となる。最初に“絵図”の构成力や力强さといったものがあ.ってこそ、人を委き
つけるこ とができるはずで、そこから何を感じてもらうかはその次のこととなる。
写真を始めた顷、“名作”と呼ばれる写真をたくさん见るように努めた。ロバート
‧キャ バの“倒れし兵士”、カルティエ‧プレッソンの“水たまりを飞ぶ男”、ユー
ジン‧スミ スの“シュバイッツア博士”……。それらの写真を前に、“どうして名作
なのか”と考え た。その时は、すぐには答えが见つからなかったが、いま思うのは、
“名作とは见る人が、 それぞれに感じ取れるものがある写真”ということだ。悲しい
时、うれしい时、その时々 の心のあり様によって、一枚の写真から感じるものは违っ
てくる。若い时に、私が感动し た写真でも、いま见ると、さほど感じないというもの
もあるし、逆に、若い顷は何も感じ なかった写真がいまになって心に迫ってくること
もある。様々な人が、心のままに写真に 向き合い、そこからいろいろなメッセージを
くみとれる写真が、多くの人に支持され、时 を越えて残っていく名作なのだと思う。
写真の力が失われていると叹く人もいるが、いまはカメラ付き携帯电话が普及し、
多く の场所で写真を撮ることができる时代でもある。その意味では、一亿総カメラマ
ンの时代 といえるのかもしれない。谁もが撮ることができる时代だからこそ、独自の
视点で、他の人が见逃していたアングルで素晴らしい写真を撮ることが出来れば、多く
の人たちによさが认めてもらえる环境が整ったといえるではないだろうか