※ 引述《andy880036s (倪福德加油!)》之铭言:
: 镰田祐哉回台 狮队14日举办引退仪式
: 体育中心/综合报导
: 去年加盟统一狮写下开季11连胜纪录的镰田祐哉,帮助统一狮拿下上半季季冠军,并
: 且获得球迷支持获选为明星赛先发投手,球团决定在14日猿狮比赛赛前,特别为镰田
: 祐哉举办引退仪式。
: 镰田祐哉曾效力过日本职棒养乐多、乐天,最后终点来到中华职棒,他谦虚及默默努
: 力站在棒球场上投出每一颗好球,每一场比赛竭尽所能助统一狮抢胜利。
: 统一狮季初曾与镰田接洽,希望他能继续来台效力,不过,已经在日本找到新工作,
: 加上老婆刚生小孩,并且在3月发表自己将从棒球界引退的消息,因此球团决定请其全
: 家人莅临台湾享受台湾旅游三天行程,并在14日台南棒球场为他举办引退仪式。
: 7月14日下午15:20于台南棒球场大门口举办镰田祐哉引退见面签名会,统一狮邀请球
: 迷朋友把握最后一次机会莅临现场,见证荣耀时刻,当天场外也特别展示镰田祐哉曾
: 经待过的日职养乐多及乐天个人球衣展示,邀请大家一起来回味。
: http://www.nownews.com/2013/07/07/341-2959922.htm
: 揪甘心!
刚好今天日本那边也有发一篇相关新闻,当中有提供镰田的经历,
与当初刚来台时的合约、待遇等,而保留上面的原新闻,
是让大家比较一下台日的说法差异。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000042-dal-base
以下以日文原文搭配中文翻译之方式呈现。
台湾で辉いた元ヤクルト・镰田さんに报いる引退式“感谢の気持ちでいっぱい”
デイリースポーツ 7月8日(月)16时9分配信
标题:报答在台湾发光之前养乐多队镰田祐哉的引退仪式,镰田:‘充满感谢的心情’
ヤクルト、楽天に11年间在籍したあと台湾プロ野球の统一ライオンズに移り、わず
か1年ながら华々しく活跃した镰田祐哉さんに対して、统一球団が引退セレモニーを実
施することを决め、その温情に镰田さんが感激している。
镰田在养乐多、乐天等两个球团待了11年之后,转战台湾职棒的统一狮,
对于虽然只待了1年,但在台湾职棒表现非常活跃的镰田祐哉,
统一球团决定替镰田祐哉办理引退仪式,而镰田也对统一球团的这项决定觉得很感激。
镰田さんは早大のエースだった2000年のドラフト2位でヤクルト入団、03年
にはローテーション入りを果たして6胜を挙げたが、以降は振るわず、10年には楽天
へ移籍した。
镰田曾经是早稻田大学的王牌,并在2000年的选秀第二轮时获得养乐多队指名并加入,
2003年时虽然顺利进入养乐多队的先发轮值内,但最终只拿到6胜,
而其之后表现不振,并于2010年时转队到乐天队。
备注:日文Wiki中,镰田祐哉的生涯战绩: http://tinyurl.com/kud5w66
重点节录:日职9年出赛125场,其中先发40场,战绩14胜17败5中继;
中职1年出赛26场, 其中先发25场,战绩16胜7败。
しかしここも镰田さんにとって新天地とはならず、1胜も挙げることなく翌11年
末に戦力外通告を受けた。
但是对镰田而言,乐天终究无法成为他的新天地,在1胜都没有的情况下,
2011年底,镰田被乐天队发出战力外通知。
ハローワークに通ったが、いい仕事は见つからなかった。野球への思いを断ちがた
かった镰田さんは、台湾・统一球団のテストを受けた。元日本ハム打撃コーチの中岛辉
士さんが监督、元楽天投手コーチの纪藤真琴さんが投手コーチを务めているのが縁だっ
た。
虽然有去求职中心找工作,但始终都没有找到好工作;
而难以断绝自己对棒球之热爱的镰田,接受了台湾统一球团的测试;
因为统一球团的总教练是前日本火腿队打击教练的中岛辉士先生,
投手教练则是前乐天队投手教练的纪藤真琴先生。
テストに合格した。再び野球ができることに。しかし条件は厳しかった。契约は2
カ月更新、2军降格は即解雇、负伤で出场できなくなっても解雇…。通訳は付かず、チ
ームメートと意思疎通できない。ユニホームの洗濯も自分で。そもそも、配られたユニ
ホームの名前が“镰田哉祐”と间违っていた。
镰田通过了测试,再一次获得打棒球的机会,但是条件是很严苛的;
合约是每2个月换约一次,一旦被下放二军就解约,受伤不能上场的话也解约;
没有专属翻译,使镰田无法与队友们顺利沟通;球衣也要自己洗;
而且一开始拿到的球衣,背后的名字被写成“镰田哉祐”。
そして开幕を迎える。3月18日の初登板で、胜ち投手となった。公式ブログでは
“まずは1胜できて良かったと思います”などと短くつづった。その记述が段々长くな
る。胜って、胜って前期优胜。优胜决定の日、镰田さんは开幕から负けなしの11胜目
を记录した。
镰田就这样迎向其在台湾职棒的开幕,在3月18日的初次出赛就成为胜利投手;
在他自己的部落格中就只写了“一开始就能拿到一胜真是太好了”这短短的感想;
而后来的内容就慢慢的变多了;镰田就这样一直获胜,一路赢到统一拿下上半季冠军;
到统一确定拿下上半季冠军的那天,镰田写下“从开季以来无败的第11胜”之纪录。
台湾の球宴には、日本人选手では初めて、ファン投票で选出された。镰田さんは“
时の人”だった。
镰田也成为第一位被球迷票选而能出赛参与台湾职棒明星赛的日本选手;
此时的镰田也可说是“话题人物”。
后半戦は5胜しか挙げられなかったが、通算16胜で最多胜利のタイトルを获得、
ベストナインとゴールデングラブ赏にも辉いた。しかし、その后半戦から台湾シリーズ
へと続く不调が厳しく评価された。
虽然镰田在下半季只拿到5胜,但仍以全年16胜拿下“胜投王”,
同时也拿到“最佳九人”与“金手套”等奖项;
但是镰田从下半季开赛,一直持续到台湾职棒总冠军战的较差表现,获得了严苛的评价。
シーズンを终えて帰国后の11月27日のブログで报告した。“昨日台湾から来季
は契约しないとの连络がありました…やはり厳しい世界ですね。それでも厳しい环境で
顽张れたこと、3つのタイトルを取れたこと、台湾での仲间ができたこと、どれも素晴
らしい経験、财产です。台湾のみんな本当にありがとう!”。
在台湾的球季结束,并回到日本后的11月27日,镰田在其部落格发表了:
‘昨天收到台湾那边通知,明年将不再跟我续约,果然是很严厉的世界;
但是能够在那严厉的环境中好好奋斗,拿下3个奖项、在台湾交到朋友,
不论哪一个对我而言,都是很贵重的经验、财产;谢谢在台湾的每一个人’。
楽天から戦力外通告された时点であきらめていれば、こんな経験はできなかった。
契约延长は成らなかったが、吹っ切ることはできる-そのつもりだったが、最终ゲーム
が终わって乗ったバスでチームメートたちが“来年も一绪にプレーしようよ”と言って
くれた言叶だけが重く心に残っていた。
如果镰田在被乐天发出战力外通知时就放弃的话,他就无法获得这样的经验;
虽然最终无法续约,但镰田心中却有着不会忘记的一幕,
在结束最后一场比赛的回程球团巴士上,统一的队友们对镰田说:‘明年也一起打球吧’。
日本へ帰ってからも现役への道を模索したようだが、结局あきらめて今年3月27
日、ブログで引退决意をはっきりさせた。
而镰田在回到日本之后,虽然也曾尝试找寻能够继续打棒球的可能性,
但他最终放弃了棒球这条路,并于3月27日时在部落格上发表他决定要退休。
4月から不动产会社に勤め始め、ブログを続けるかどうか迷った。しかし“野球选
手が引退后どうしているのか、あの选手は今どうしているのだろう、仆自身も现役のと
きから気になっていたことを 仆はブログを通して発信していこうと思いました”と记
述はなおも続く。
从4月开始在不动产公司上班后,镰田对于要不要继续写部落格感到迷惘;
但是基于“自己从现役时代以来,就一直很好奇棒球选手退休之后,到底在做什么呢?
那个有名的选手现在在做什么呢?”,因此决定继续透过部落格来让大家知道我的近况。
それまでの野球中心の内容とは打って変わり、一戸建て住宅の贩売现地でお客さん
を案内する様子などが书き込まれるようになった。
而其部落格的内容,也从以棒球为主,转变为他在向客户推销透天厝的情况。
惯れないサラリーマン生活に苦労しながら顽张る様子が、それまでよりは间远にな
りながら、确かな笔圧で読み取れた。そして7月8日、弾むような文章の书き込みが。
并能够从部落格的内容中感受到他一边因为还不习惯的上班族生活而有点辛苦,
但仍继续努力的模样;然后在7月8日写了一篇有点愉快的文章。
“今周末に台湾で引退セレモニーをしていただけることになりました。こんな自分
が引退セレモニーなんて感谢の気持ちでいっぱいです。台湾统一ライオンズ球団の方々
、本当にありがとうございます。人生最后のプロとしてのユニフォーム、心に刻んでき
たいと思います!”
“这个周末,将在台湾举办我的引退仪式;对于能够替这样的我办理引退仪式,
我的内容充满感谢的心情;真的非常感谢台湾统一狮球团的每个人;
对于我职棒人生中,最后穿的这件球衣,我将铭记在心。”
この14日、台湾统一ライオンズの本拠地、台南市の球场で镰田さんの引退セレモ
ニーが行われる。ユニホームの背中に书かれた名前に、もう间违いはない。
本月14日,将在台湾统一狮的主场-台南市球场举办镰田祐哉的引退仪式;
这一次,球衣背后的名字将不会再被写错了。
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心得:日本的记者也是蛮会酸的。